93.ひとつの事だけやるという事
2021年02月08日
膨大な情報と選択肢のある人生で、
ひとつの事しかしない。
そこには、当事者の物凄い「熱量」とそれ意外を完全に遮断するという「犠牲」があります。
それをプロといい、職人ともいいます。
人はそこに憧れと信頼と安心を抱き、需要が生まれます。
とあるインタビューで平成の大横綱貴乃花の長男、花田優一(靴職人)が
「毎日靴だけを作っていたら技術的には上がるかも知れないけど、人生という軸で見たら面白みに欠ける。僕が靴を作る事の他に画を書いたり歌を歌ったりしているのは、新しい刺激に足を突っ込みチャレンジしていくことで、人間味が磨かれていって“誰にも追い付けない個性”というのが出来上がるんじゃないかと考えているからなんです」
と話していた。
それに対してコメントで「靴だけ作っていてもおもしろくない人の作った靴なんか欲しくない」と書いてあり、そこに共感いいねが結構入っていた。
どちらの立場もわかる感慨深いやりとりだった。
私も芸術至上主義寄りなので、カストラート(※近代以前のヨーロッパで普及したもので、男性の睾丸を声変わり前に去勢してしまうことで、成人してなお体は男性の肺活量や声量の強さを持ちながら、声は幼少期特有の美声ボーイソプラノを維持させた男性歌手のこと)とか好きです。
しかし、相撲バカ一代で生きてきたお父さん、元横綱の迷走を見ていると、やはりそうは言ってられないなと思いましたね。
相撲道に若さと青春と人生の全てを捧げてきた貴乃花が、まさか相撲協会から離れなきゃいけなくなる状況なんて誰にも読めなかったし、事実それ以外の道で今は食べている訳です。
離婚もし、母親とも、兄とも、嫁とも、実子とも関係を断絶し、携帯番号すら教えていない。
相撲界の英雄、偉人、成功者であるはずの大横綱貴乃花の今が決して幸せそうには見えない。
はたまた、自身の不遜から相撲界を追放された名横綱朝青龍。
涙を流す程、相撲が今でも好き。
相撲で食べて行けなくはなったが、母国モンゴルに帰り、大英雄。実業家として様々な事業を展開し、いずれも成功させ、自身で銀行まで経営する大富豪になってしまった。
そもそも文化も言語も違う異国に来て成功すること自体「狂気の沙汰」だし、そもそもの順応性、言語力、度胸、努力、知能の質が違うのだと思う。
我々職人だって新型コロナのタイプが違ければ、飲食業界と立場が逆転していたかも知れない。
やはり職人にも、「風の時代」は訪れているのだと思う。