145.『人間という鎧を脱いで』
2024年09月26日
でっかい
とおい
宇宙から
人間を俯瞰して見てみると、
所詮どの分野も
根本は
「子孫繁栄」と
「自己満足」と
「自己奉仕」で
成り立っていて大して複雑じゃないことが見えてくる。
なぜ一番や1位になりたいかって、より目立つ事でより優秀な遺伝子を持つ異性を集めやすくなるから。「遺」
なぜ自己満足したいかって、そもそも人生は時間が余って暇で何もしないと時間を潰せなくて困るから。「満」
なぜ自己奉仕したいかって目の前の人を助けると無条件に報われるから。「無」
所詮その程度だから。。
スポーツ、学術、芸術等で
世界一も、日本一も、学校一も
そんなに血眼になって追わなくても本当は大丈夫。
問題無しなのである。
それでも人間て、
無駄に親切なのか?本能か?
とかく自分の分身である子供に
生まれて来たらすぐに己の経験上の得策や莫大なお金、膨大な時間を投資して、
より我が子が生き易く生きて行けるようブランディングしたり帝王学を与えようとする。
それに付随した発展を繰り広げ、興っても来たりしたのが文化であり文明でもあろう。
もし人類の知能が低く、学習を与えなければ、
ただ生きてるだけで幸せを感じられるんだと思う。
「幸せという概念」すら発生させず
幸せも無理に追わなくなるんだと思う。
人間のように「結婚」という制度も発生せず人道的「別れ・離婚」という概念もまた、無くて良くなる。
また、「刑務所」とか「刑」という概念も発生しないだろう。
他者と比べる脳も国籍も価値観も、
常識という観念もないのであれば、
これじゃ恥ずかしいとか、辛いとか、緊張するとか、悔しいも発生しないはず。
見栄や虚栄心や承認欲求のない、
自己満足を自分でも承認していくみたいな莫大な工程のない
「在りのままの時間」はいかに気楽だろう。
たまにこうして人生の鎧も知恵も価値も脱ぎ捨ててさ。。
もうこの温暖化が停まることも、
情報化社会がアナログ社会に戻ることもないのだから、
せめて想像の世界でだけでも鎧を脱いで
でっかい、でぇーっかぁい人生感じて癒されてみるのも有りだと思う。
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