81.足場と料理のマーケティング構造
2020年12月14日
先日『足場と料理』のブログを書いたらそこそこ見られていた。
最近は、どうしてこんなに大変な足場業で信じられない程に単価を絞られなきゃならないのかずっと頭を悩ませて来ていた。
足場も高級料理と同じで美味ければ、その分お金がとれたりするように、
より安全策を施せば施す程金額が上がれば良いのだが、
実際お金を払うエンドユーザーまたは、工務店は直接足場を使うことがあまりないので、
ぶっちゃけ多少安全策が足りてなくても安ければそれでオーケーだったりするのである。
むしろこちらからフルスペック足場を提案して戸建ての案件がバシバシ成り立つ訳がない。
我々からしたら、安全に組んであげたい。
すると客は「じゃあ安全で安くお願いしたいとなる。。」
それじゃ試行錯誤し、手間暇かけて安全策を尽くしてそれが金額で反映されなければ、我々はどこで利益をあげれば良いのだろうか!?
「じゃあ多少危険でいいから安く」とまでいうエンドユーザーや元請けだってゴロゴロいる。
「いやだってほら足場は後に残らないからさあ、それにお金はかけられないって人が多いんじゃないの?」
これなんて元請け側の口説き落としの常套文句ですが、
あの寿司界の人間国宝であり、世界最高齢ミシュラン三ツ星シェフとしてギネスにも認定されている小野二郎が握ったお寿司だって、食べればなくなってしまうのだから、
この点で、あとに残らないからお金は出せないは成り立たない。
美食ってやっぱり生きる喜びであり、楽しみ。
楽しみ、道楽に金を惜しまない人は多い。
そして美味しいものはちゃんとクセになってもう一度食べたくなる。
正直足場にこのクセになるが、ほぼない。
この「決定的な構造の違い」に最近は気付いてきた。
美食はクセになるが、美足場で同じように使った人がヤミツキの感覚になる程の存在感、魅力、媚態を醸し出すことはかなり難しいと思う。
だから「料理の値決め」と「足場の値決め」を同じ土俵で考えること自体がナンセンスだったわけだ。
そもそも足場屋であれば、材料さえあれば大抵の建物はどこの足場屋でも囲えてしまう。
悪く言えば足場屋なら誰でもできてしまうということ。
差別化がしづらいのだ。
安全性をどんなに追求してもお金を払う人と足場を使う人が違ったり、
そもそもどういう足場が素晴らしいかすらもわからないし、今後もわかろうとする人が少ないこの状況下で、
「安さ」意外の解りやすい差別化を示しづらいのが、
一般足場業界の難点であり悲しいところである。
では、今後どうやって差別化するのか
それは安全云々ではなく
安全は当たり前で、
この業界では、一般の足場屋では絶対にできない、
「橋梁足場」であったり、
「何十階建ての超高層」であったり、
ビルの頂上にそびえ立つ難しい看板の吊り足場だったり、
特殊足場と言われる案件すらも当たり前にできる本当に究極の技術をモノにして、
それを売りに出していかない限り、
足場屋は、差別化で苦しみ
永遠に「安さは正義」の世界であがき続けることになると思う。
それが、足場人とその他一般の人々との認識構造の埋まらない溝でありズレなのだから仕方がないのだ。