63.古き良き時代の鳶の肖像
2020年08月24日
仕事が始まると
「怪我と弁当は自前持ちだよ」
それが口癖(笑)
まだ私が小僧の頃、数年間都合のいい女みたくたった1万円で忙しい時だけ呼ばれて通ったが(笑)、
昼飯も夜飯もご馳走になったことも御一緒させてくれる事もまずなかった。
先祖代々鳶の頭と言われる家柄で、本当に鳶職としての自分に誇りを持って生きている人だった。
プライベートでは喧嘩がめっぽう強くて、特に若い頃はしょっちゅう街中で若いヤクザをシバいては、
代紋の入った脇差しを奪って帰って来て、家で飾ってコレクションにしていた。
「喧嘩するならヤクザが一番いいよ絶対警察沙汰にならないからね(笑)」
これも口癖(笑)
もはや「ヤクザ狩り」ですよ(笑)
後日組長が、
「先日はうちの若いのが大変失礼致しました。組の代紋が入っているので何とかその脇差しを返して頂けませんでしょうか?」と
シバいた若いの連れて金と菓子折り持参で謝りにくる。
歳を経た今では、1級鳶の認定員をお願いされ続けているが面倒くさいと断り続けている。
ケチだったけど(笑)人生で初めて憧れた人。
どうにかその人の遺伝子を自分の遺伝子に取り込みたくてその人の血を輸血したいと考えたこともあった(笑)
この時だけは、女って子供作れるからいいなと思った(笑)
仕事は鳶に限らず、左官から型枠から外構、解体、重量、土木、曳家(ひきや)どんな仕事でも出来て、難しい仕事であればあるほどワクワクしてくる根っからの職人だった。
そして彼みたいな人を「仕事師」と呼ぶのだということを初めて知った。
仕事は朝8時に始まって、昼にはあらかた片付いている。
どういう訳かはわからぬが
「俺たち鳶は日がくれるまで仕事やってたら駄目だ」なんて言って(笑)、
平均して15時には置き場に帰って来ていた。
小一時間次の日の段取りして、17時には着替えて行きつけの河豚屋で酒を飲んでいた。
「どんなに押さえても毎年1000万超えちゃうんだよなー」
とかブツブツ独り言言ったりしていた(笑)
ケチだけど(笑)かっこ良かった。
稲妻宣言も15時に仕事終えて、17時には各自行きつけのお店のカウンターにちょこんと座って「どーしても1000万超えちゃうんだよな」なんて余裕ぶっこいた、働きやすいそんな職場環境を実現させたいと思ってます。
ではまたごきげんよう。